折伏スゴロク

自分と友人が幸せになる折伏

折伏 私の分岐点

 折伏は「やっぱり一念」だと思います。
心の奥底に何があるのかで、折伏は決まるのではないでしょうか? 
これは、私が入会数か月、18才のころの話です。
 
学生部で折伏戦がはじまった時、
私は東京に知り合いがまったくいませんでした。
そこで、ビビりながら、
学校内で世間話ぐらいはできるA君に声をかけました。
私は、折伏の「しゃ」の字もしらない状態です。
 
ただただ私は、そのA君を
学生部のグループ長に合わせるのがやっとでした。
グループ長は、その日のうちに
21才とは思えない説得力と勢いで
A君を入決へと導いてくれました。
 
私は、ただ「えっ?」
ポカ~んという感じでした。
 
何かわからないけれど、良かった良かったという感じでした。
その頃の折伏は、三原則なんてありませんでした。
ですが、地区部長・支部長の面接はしっかりとありました。
 
一週間後に入会勤行会と決まり、私は安心しきっていました。
ところがどっこい、
前日になってA君は「やっぱりムリ」と言ってきました。
 
「母に相談したら、ダメだと言われた」と
きっぱりと言われました。
18才の何も知らない確信もない私に
語れる話もありませんでした。
それで、その瞬間から絶縁状態。終わりました。
あまりにも当然すぎる結末。
 
もう私は、ただガッカリしてグループ長に報告に行きました。
グループ長は、「どうして、A君は信心しなかったと思う?」と
質問してきました。
 
私は、自分を取り繕うように
「彼が、この信心に本気でなかったから・・・」とか
「親に相談したから、こうなってしまった・・・」とか
今思うと、恥ずかしいことを次から次へと並べていました。
 
完全に、私以外の何かに責任をなすりつけていました。
それを見透かしたかのように、黙ってい聞いていたグループ長は 
彼が入信しなかったのは、君の生命が原因なんだと叱咤し
慰めてくれるだろうと期待していた私は、意気消沈。

 
しょぼくれて、アパートに帰り着いた私は
ご本尊の前に座っていました。
 
「なんでこうなったんだろう」
「彼はどうなるんだろう」
「だれかが折伏してくれるかな」
「もし、二度とこの信心に巡り合わなかったら」
いろんな気持ちが湧き出てきました。
 
そして、最後に
「次からは、絶対に友人のことを祈り切るぞ」と誓いました。
この日が、私の折伏に対する一念の分岐点となりました。
 
その次の年からは、
5年間、私は毎年1人の友人を入会に導くことができました。
あの時の厳しい一言がなければ、
今でも私は中途半端な折伏をやっていたと思います。
 
私が折伏で心がけていることは
友人に対して「もし私が折伏できなければ、
この友人は一生信心できないかもしれない」という、
友人に対する責任感。自分自身の生命を後退させない祈りです。
 
その時の友人に対する思いは
「友人は、この信心で必ず幸せになる」という確定した思いです。
ですので私は、心から入会してほしい人に折伏をしています。
 
そして折伏をしていて毎回思うのは
「祈り切った。もう何も出てこないぐらい祈った」と言うぐらい祈り
その限界のときに、もう1歩前に出るような祈りをして友人に会いに行く。
そういう時に、ふと友人が「やってみようかな・・・」と言ってくれる。
その時、はじめて仏界に届いたんだと確信をすることができます。
 
折伏とは自分を折伏すること」と言われています。
また、「折伏は友人がこの信心の確信をつかみ
他の誰かを折伏したときが折伏の完了」というようなことを
聞いたことがあります。折伏してからが大事だということですね。
 
ですが
折伏は、10人いれば10通りのやりかたがあると思います。
折伏をして、入会させるだけが、折伏ではありません。
仏法を語った瞬間から、もう妙法の種は植えられています。
 
いや、語らなくても、私たちの振舞いこそが折伏です。
一番大事なことは、友人が幸せになることです。


<追加文>
勘違いをして読まれている方がいるようなので、加筆させて頂きます。
とにかく、創価学会は成仏をしている人の集まりではありません。
一生成仏と広宣流布を目指している人の集まりです。
いろんな人がいます。
わざわざ書く必要もなかったのですが、勘違いをされては困りますので
あえてお伝えいたします。
私に叱咤激励をしてくれた「学生部のグループ長」は、学生部卒業と同時に
男子部では一切活動することなく、私が知っている期間だけでも
約16年間は未活動の状態でした。
しかし私の人生には、その先輩がいなくては今の私の幸せは語れません。
先輩に対しては、今でも心から感謝をしています。

すべてを諸天にするしないは自分次第です。

 

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。