折伏スゴロク

自分と友人が幸せになる折伏

不幸な折伏

折伏は何のためにするんでしょうか?
 
昔はたくさんいらっしゃいましたね。
「破折することが折伏だ」と信じている人々が・・・
 
せっかく仏法対話にまでこぎ着けたのに
いきなり「あなたの生き方は、こういうところが間違っている・・」とか
「5年前と何も変わっていなね・・・」とか
「信心しないともっと不幸になりますよ」とか
 
もしかしたら当たっているかもしれませんが
正論をかざして、相手を打ち負かして何になりますか?
 
ディベートの試合をしている訳ではないんですから
勝つことが目的ではないはずです。
 
前置きはこれぐらいにして
最近、ある後輩A君から折伏の話しを聞きました。
 
友人Bさんと仏法対話をしたときに
Bさんは「実は、学会員のCさんにも折伏をされています」とのこと。
 
内容を聞いたら、「自分の痛いところ突っつかれて、ダメ出しをされて
意気消沈していたところです」と、本音を聞かされたとのことです。
 
学会員が、友人と仏法対話をして、友人を更に不幸にして何になりますか?
勇気と希望を与えるのが、池田先生のご指導ではないのでしょうか?
 
私が提唱しています「折伏スゴロク」では、まず「友人の心を開く」ことから
折伏は始まります。当然それ以前に、友人のことをしっかりと祈ることが
大前提でもあります。
 
人間、まずは信頼関係ではないでしょうか?
 
何度も何度も言いますが、「何のため」という問いの答えを出してから
折伏はしたいですね。
 
今、後輩A君は、焦ることなく、しっかりと友人Bさんの悩みを聞き出し
Bさんの良き理解者になることに努めています。
 
1人の人を幸せにする折伏(仏法対話)、心こそ大切なれとの思いで
友人と語り合いたいですね。
 
赤の他人のことを、人の幸せを祈ることが、楽しくなってきたら本物です。
まずは祈りから、そして最後まで祈りですね。
 
 
 
 
 
 

 

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