折伏,やり方,方法,新聞啓蒙,宇宙の法則,一念,人間革命,池田先生

折伏スゴロク

自分と友人が幸せになる折伏

折伏は何のため?

折伏をすることで、自分も友人も幸せになったら1番良い。

また、創価学会に入会したのは、自分が幸せになるためのはず。
そして、自分が幸せになるために、信・行・学の実践をします。


まずは、信じる。
そして、自行化他の実践(勤行唱題・折伏・聖教啓蒙・法戦その他)
自分がやる。その上で、他の人にも薦める。
聖教啓蒙も折伏も法戦も、広布のための行動は全て折伏と同じかと思います。
結論としては、全て自分のためだと思います。


折伏を受けて、創価学会に入会すると決めたのも自分のため。
信・行・学の実践も、自分のため。
その実践の中に、折伏があるということで間違いないと思います。


折伏をすると、何で功徳が大きいのか?境涯革命できるのか?
それは、人を幸せにする最善の行動をするからだと言えます。


折伏のやり方に「型」はありませんが
池田先生のご指導や書物に、「随自意だから、相手の心情は気にせず
信心に反対するとロクなことがないよ!と言い切れ」とは書いてないはず。
人の振る舞いとしての常識的な対話の先にこそ折伏はあると思います。


また、組織で〇月〇日を目指して折伏戦を開始する!と打ち出しがあったとして
自分の生命状態が本気でないのに、友人を片っ端から折伏してしまったら
妙法の種どころか、学会不信の種を植えてしまいます。
折伏は何のため?1人の人のことを祈り切るため。
また、お題目の確信をつかむため。地涌の菩薩としての使命を果たすため。
かと思います。その結果、自分の境涯革命ができ、大功徳を得ることができる。


何のための折伏か?の前に、何のための信心か?と自分に問いたい。
退転していく人の共通点は
「信心を素直にやらない」「意識が学会の欠点に向いている」
「腹が決まっていない(覚悟がない)」「感謝がない」


学会で、めちゃくちゃ幸せになっている人とは、信心をやり切った人のこと。
また、信心を真っ当した方は、最後はみんな成仏しています。
その人らしい境涯での成仏をしていると確信します。


そして、「心こそ大切」のご指導にもあるように
信心は、見た目でも、活動を頑張っているからでも
財務をたくさんしているからでも
役職でも、お題目の数でもないと思います。
どんな心で折伏をしたか、財務をしたか、活動をしたか、役職を真っ当したか
お題目を唱えたか?ではないでしょうか?


私の知っている高齢の多宝会の先輩は、一人暮らしであっても
「自分にできることは、毎日感謝をしながらお題目を唱えて生きていくこと」
と言って、会合に参加できなくても幸せに生きて行けることを証明しています。


言われた通りに「素直な信心」をせずに、問題意識だけを持って
学会を批判的に見ていたら、心のアンテナは、いつも創価学会の欠点ばかりに
意識が行きます。その結果、理不尽な組織としか見えません。
そして「やっぱり学会は間違っている」となるのではないでしょうか?


本来は、自分が幸せになりたいから信心をする。
ということは?

・今の自分に満足していない。
・自分を変えて幸せになりたい。
ということは?人間革命をしたい。

だから、世間では体験できないことを創価学会であえてやって
学会の第一線で修行をしてこそ、自分が磨かれて人間革命ができると思う。

残念ながら、創価学会に入会したらみんなに優しくしてもらって
尚且つ、自動的に幸せになれる。ということはありません。
それなら、創価学会の会員数は、とんでもない数になっていますね。


そして、人の気持ちの分からない幹部なんていくらでもいます。
未熟な先輩の一言で未活動になるのは、あまりにももったいない。
せっかく幸せになる秘術を手にしたのに、あまりにも勿体ない。


だから、その中で頑張るから修行になり人間革命ができると思います。
幹部から理不尽な目にあったときこそ、その幹部を反面教師とする。
難があった時こそ、池田先生直結・お題目根本なのかが分かります。
学会の活動は間断なき戦いです。「やってられない時」もあります。
「やってられないことを、信心で受けとめる」から人間革命できる。
何かあったとき、それを因としてお題目をあげることができる。
あげさせてくれている。全てに感謝できる境涯も人間革命ですね。

そして実は、私も軽い怨嫉をしたことがあります。
幹部の一言で、とても気分が悪くなりました。
何日も間悶々としたことがあります。
しかし、冷静に考えると、その幹部が理由で退転をしてしまったら
全てがムダになってしまいます。私は幹部のために信心をしている訳でも
学会のために信心をしている訳でも、親との付き合いでやっている訳
でもありません。自分のために人間革命という修行をしているのです。
そして楽ちんな修行なら、修行ではないと思います。
そして、修行という以上、極めなくてはなりません。
ゲームですら、クリアする場面があるのに、
創価学会の修行をする時だけは、すべてスルーでOKだったら、
逆に創価学会がバカにされてしまいます。
でも「安心して下さい、滝に打たれる修行も、断食もありません。」
まずは「すべて自分のためと受け止められる人」でありたい。
「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」のご金言のままです。

 

また、創価学会では、赤の他人のことを真剣に祈っているからこその
叱咤激励があります。私のような、どうしようもない人間でも
学会家族は、諦めずに少しづつ成長させてくれました。
まずは、言われた時、それは幹部の感情的な発言なのか?
自分のことを思っての叱咤なのかを、ご本尊に祈り切って
心の師との対話をして答えを出したい。どちらにしても
何かあったときに、それを消化して乗り越えたときには
間違いなく、人間革命が一歩前進しています。


また、あまりにも当たり前のことですが、まず初めに
「一生涯、退転はしない」と腹を決めることですね。
その決意もないままに、信心をしたら退転の可能性は大です。
毎日が仏と魔の勝負ですから。スキだれけということになります。
簡単に成仏できるなんて思っていたら大間違いですね。
もう、真っ当な学会員なら、当たり前すぎて、
こんなこと考えることすらありません。
「退転しないとの覚悟」は、あまりにも当たり前のことですから。


世間の仕事では、基本的に働いたあとに給料が支払われます。
働かずにお金をもらうということは借金と同じです。
そして、世間の仕事以上に、ちゃんと結果が出るのが信心ではないでしょうか?


組織では、好き嫌いを乗り越えて、仲良くしたり苦労するから修行になります。
会社であれば、給料をもらえるから我慢できることがあると思います。
創価学会では、福運がつく。境涯革命できる。幸せになれるから我慢できる。
会社では、頑張っても認められないことがある。
しかし、創価学会では、その人の心の奥底までもご本尊がお見通しだから
本物の信心の人には、正当な評価として、福運がつき、幸せになれる。
それも、会社にいるだけ(退転しないだけ)でも、相当な給料(功徳)がもらえる。
「心こそ大切」「受くるは・やすく持つはかたし」だから。


ということで、やっぱり、やらなきゃ損ですね。
そして、人の幸せを祈り切る(折伏をする)ことが、
1番大変だからこそ、報酬もハンパではない。
これは、やった人しか体感することができません。
そして、報酬はいつもらえるかというと、
その人に1番ベストなタイミングで、支払われる。
学会員は、ご本尊に、心も・行いも・発言も全てを見抜かれる。
創価学会は、世界で1番、正当な報酬がもらえる団体だと思う。

 

 折伏は何のため?自他共の幸福のため。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。