折伏スゴロク

自分と友人が幸せになる折伏

高所恐怖症の克服

人は自分のことを、こういう人間だと
かってに思い込んでいます。

私は小さいころから、めっちゃくちゃ高所恐怖症でした。
20代になってからもずっとでした。

しかし、転職したとき変わりました。
新しい職業は建設業でした。

未経験での初出社の日から、私は最低でも5階建ての
建築途中の工事現場へ足を運ぶことになりました。

基礎工事から仕上げまでの長期間、ほとんどの建物は
足場という、建物の周りを囲む、鉄パイプの仮設通路や
階段を上り下りしなくてはなりませんでした。

最初は、1階から2階に上がっただけで、足元が
震えてきました。
しかし、私は未経験者、先輩の後についていろいろと
助手的な仕事をしなくてはなりません。

当然後ろから、オロオロとやってくる私は、先輩から
「おい!はやく来んか!」と何度も怒鳴られました。

当然、怖いとか言っている場合じゃない。
もう必死でした。
とにかく、つかめる所をどこでもつかんで
先輩のスピードについていきました。

そうこうしているうちに
同じように現場で働いている人たちの動きを見ていると
皆さん、当然のように、あの細い足場をスイスイ歩いています。

「あれ?だれも足場から落ちない?」
「ほとんど地上と同じ感覚で歩いているぞ?」と
当たり前のことに気づきました。

「それなら自分も」と、ベテランの職人さんに
成りきって歩いてみました。
最初は、ビビりまくっていましたが
バランスさえ取っていれば足場から落ちない。
というか、落ちないように出来ていました(笑)

この瞬間から私は変わりました。

「私は、高所恐怖症」という自己肯定観が
「私は、高いところを何とも思わない」という
自己肯定に、完全に逆転したのです。

それからは、どれだけ高い建物の現場であっても
まったく気にならなくなりました。

人は自分で自分の可能性をかってに
決めているのでは?

人は変わることができるんです。


 

折伏のハードルは間違いなく低い

折伏をするなら、当然ですが
最終目標は、本尊流布で間違いないかと思います。
(その先の共に広布の道を歩むのは当然のこととして)

ですが、日蓮仏法は下種仏法です。
「信心の素晴らしさを語る」だけで、下種はされます。
妙法の種は植えられます。
目標は達成されます。

その上で、最終目標である本尊流布ができたら
なお素晴らしい、友人が広布の道を共に歩む。
なんとも言えない喜びです。

人によっては、「折伏をする」=「本尊流布」
「最大のプレッシャーとなる」人もいます。

いきなり目の前に、100メートルの壁ができて
これをいっきに飛び越えろと言われている気分かと思います。
本尊流布=折伏であるなら、そう捉えられてもしかたない。

ですが、実は本来の折伏
ハードル競走でいうなら
最初に飛び越えなくてはならないハードルは
きっと30センチぐらいの高さかと思います。

①友人に電話をする。「時間ある?」
②友人に会う。「この我が友に贈るっていいよ」
 いっしょに読む。下種完了。

きっとこちらが黙っていたら
「なにこれ?」って必ず聞いてくるかと思います。
あとは、自然に語るだけでいいのでは?

友人が興味がなかったら、それで終わるかと思いますが
下種は間違いなくされています。
あとは、友人の幸せを祈るのみです。

もし、この1歩を1度もクリアーしたことが
ない人がいたとしたら
下種を達成したときの喜びは最高だと思います。
やり切った観100%だと思います。
嫌でも、次のステップに自動的に進みたくなります。

100メートルの壁も、初めは30センチでも
少しずつハードルの高さをあげていけば
諦めない限り、必ず目標を達成できます。

大事なことは最初の1歩を踏み出して
「できるんだ!」という自己肯定を実感することだと思います。
高所恐怖症も折伏も、捉え方を変えるだけで
見え方がまったく違ってくると思います。

 

  

 最後までお読み頂きありがとうございました。