折伏,やり方,方法,新聞啓蒙,宇宙の法則,一念,人間革命,池田先生

折伏スゴロク

自分と友人が幸せになる折伏

聖教啓蒙と信頼残高

銀行にお金を預けると預金残高は増えていきます。
当然、引き出せば残高は確実に減っていきます。

そして、人間関係の信頼の度合いも
銀行口座のように増えたり減ったりする。
それを信頼残高と言うようです。

学会活動でもありますね。
とくに、外部の方に対する私たちの誠実さが
信頼と大きく結びついていると思います。

聖教新聞の購読を友人に勧めるときは
友人との信頼関係が大きく影響します。

新聞啓蒙を毎月複数部達成されている先輩は
日頃から、友人台帳を作って
何気ない会話の中から、相手の夢や悩み・趣味
その他いろいろな関心事を知り
忘れないようにメモに残していると言っていました。

そして、相手の幸せを祈り、友人が必要とする
聖教新聞の記事を切り抜いて渡してあげたり、

挨拶や日頃の真心の声かけで
友人との人間関係を深めているとおっしゃっていました。

仕事場や友達との交流も
そういう先輩方は、心の中にいつも
「広布のために」という真剣な戦う精神があるのだと感じました。


また、聖教新聞の啓蒙は
大切なお金を払って購読してもらいますので
「相手に福運をつけてもらう」ためでもあり
外部の方が財務(ご供養)をしているようなものでもあります。
また、最大の目的は「この信心の素晴らしさを知ってもらう」
ためであるのは当然です。

本当に不思議ですが、聖教新聞を快く購読してくれている方は
なぜか諸天善神に守られているように感じます。

そうとは分かっていても
聖教新聞に自信がなくては、とても言い出せません。
自分自身が聖教新聞をしっかりと読み
すごいと感じていなくては始まりません。


また、こちらが本当に良いと言っても、どこまで伝わるか?
だから、上記の先輩のように、先に聖教新聞の切り抜きの
贈呈をすることで、聖教がどれほど良いのか知ってもらえます。

また、切り抜きを贈呈するという行動は
・日頃から友人のことを祈っている
・だから友人にベストな記事に目が留まる
・切り抜いて渡すタイミングを諸天が誘導する
・「友人のために」という真心が伝わる
この行動には、「聖教新聞への自信」があり
「聖教をとってもらう(悪いけどお願い)という
後ろめたい気持ちは一切ありません」

仏法は道理、地道な行動と折伏精神で真心の啓蒙をしていきたい。


 

 聖教新聞の啓蒙につて

はじめに、外部の方にとっての聖教啓蒙のイメージは
・知り合いの学会員からセールスをされる面倒なもの
・切り抜きをもらったりして、いいなと思うこともあるが
 お金を出してまでは欲しくないもの
・付き合いでとると学会員に喜ばれるが、何の連絡もないし
 お金を払えばそれでいいのか?とも思ったり
 もしくは、新聞さえとればあとはこっちに踏み込まないから
 それで良しかな。
などなど、マイナス面で言うと、こんな気持ちの方がいるかもしれません。
きっと、外部の一部の方は、学会員から「新聞をとってもらえる?」と
お願いをされて、渋々とっているという感じなのでは?

私も義務感の状態で、聖教啓蒙をしていることがある。
本来の聖教啓蒙は、折伏と同じで、友人の幸せのために薦めるもの。
聖教啓蒙の流れとしては
①この信心で幸せになってもらいたい友人がいる。
だから、信心のすばらしさを伝えたい。
②そのアイテムとして、聖教新聞の購読を薦める。
 その理由は、
 ・毎日、友人宅に聖教新聞が届くということは
  友人は、毎日仏法に縁をすることになる。(折伏と同じ)
 ・日々、友人が聖教新聞に目を通すことで、本人にとってベストな
  記事に出会い、悩み解決の気づきになりえる。(悩みの解決)
 ・友人が、大切なお金を払って購読してくれるということは
  学会にご供養をしたのと同じですので、幸せの手伝いとなる。(財務と同じ)
聖教新聞の啓蒙をするということは、折伏と同じことですので
 啓蒙後には、しっかりと友人が毎日、聖教新聞に目を通すことで
 日々の生活がより良くなるよう、真剣なお題目を送る。

聖教新聞は、毎日の心の糧になるということを自分自身が確信をして
そのことを、目の前にいる友人に伝わるように話さなくてはならない。
話す前に、友人のことをご本尊に祈り切ってから行動をしたい。
1回1回の聖教啓蒙は、勇気が必要。折伏と同じだと思います。
ということは、「聖教新聞をとってもらう(学会に入会してもらう)」ではなく
「信心の素晴らしさを伝えてあげる(幸せになる方法を教えてあげる)」という
善意の行動であるはず。

自分自身、1人の友人に啓蒙をするときは、まずは祈る。
そして、祈ることで智慧がでる。ベストなタイミングで声をかけることができる。
その時の生命の状態は、勇気と慈悲の真心以外は何もないという状態でありたい。

ということは、どういう心で啓蒙をするかで、折伏に匹敵するぐらいの
最高の福運がつくかつかないかの分岐点になるかと思います。

 

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村